僕が生まれた「昭和」の時代と、僕の息子が生まれた「令和」の時代。
子育てひとつとっても、得られる情報量が天と地ほどの違いがあります。
令和の時代に子育てをしている僕たち夫婦は、何か困ったことがあればスマホで検索するのが当たり前。
昭和の時代に子育てをした僕の親世代からすると、こんな時代になるなんて夢にも思わなかったでしょう。
でも、これって本当によいことなのでしょうか?
なんでもかんでも、手のひらにあるスマホで答えを探そうとする。
そんな風潮に違和感を感じている矢先に、ある子育て本で印象的な一節を見つけました。
私を含めて、いま、教育に関わりのある人たちが共通して感じていることがあります。
それは、「現代の親は、多すぎる『子育て情報』におぼれている」ということです。
ネット上には個人の体験に基づいた成功例やアドバイスが大量に発信されていますし、雑誌や本、教育系のメディアも、「〇〇家の秘訣」「××ママの知恵」といったキャッチ―な見出しであふれています。
昔ならせいぜい祖父母や親戚、ご近所さんから得ていた情報が、いまや全国どころか世界中からも集められてくるわけですから、情報におぼれてしまうのもしかたありません。
「子育てベスト100」加藤 紀子(著)より引用
スマホやインターネットがない昭和の時代、僕を育ててくれた両親も、この本に書いてあるように、困ったことがあったら、おそらく祖父母に電話したりして相談していたのだと思います。
祖父母のアドバイスは、ときには間違っていることもあるかもしれないし、もっと良い方法がある場合だってあるでしょう。
そう考えると、今の時代のほうが、すぐにスマホで情報を得られるし、その中にはお医者さんが書いた記事などもあるので、祖父母に聞くよりも良いこともあるのかもしれません。
しかし、情報が多すぎるゆえに、ともすると、何が正しいのかがわからなくなる。
これがまさに、情報におぼれるという高度情報化社会の弊害だと思いますし、僕が感じている違和感です。
たとえば、豊富に情報が得られる現代社会では、それがかえって仇となり、気をつけないと夫婦間の衝突が起こります。
これは僕ら夫婦も大いに気をつけないといけないのですが、「俺がスマホで調べたら、こう書いてあったよ」「そうなの?私が調べたら、こう書いてあったんだけど」みたいなことが、よく起こるということです。
こうなると、お互い、子育ては初めてなので、どちらが正しいかなんてジャッジできないんですね。あたりまえですけど。
だから、いらぬ衝突が生まれやすいわけです。
でも、これが昭和の時代なら、そういうことも起こりにくかったと思います。
子育てでわからないことがあったら、ばあちゃんじいちゃんに聞く、それくらいしか手段がありませんから。
これって、考えようによっては、すごく良いことなのかもしれません。
少なくとも、そこには「愛」があるわけですから。
スマホで得た情報には「愛」はありません。だって、会ったこともないような人が書いた記事がほとんどですからね。
そこに「愛」はあるのかい?
情報が多すぎる今の世の中、その情報が正しいかどうかを判断するのも大事だとは思いますが、その判断が難しい時は、いっそのこと「愛」に身をゆだねるのが賢い選択なのではないか?
うん、何が言いたいかはいまいちわからんけど(笑)、なんかいいこと言ったっぽい気がする(笑)
いっそのこと「愛」に身をゆだねる=信頼する人の愛のある情報を信じる
そう考えると、この話、うまくまとまるのかな?
まぁ、あとは、勝手にあなたなりに考えてください。
サイゴ、マルナゲカヨΣ(゚Д゚)
ちなみに、この記事で紹介した「子育てベスト100」という書籍。
今日付けのAmazonランキングで総合4位、かなり売れてる本です。
興味があれば、ぜひご一読を。